ワクワクしているだけでは、ミサイルは止まらない。

自由視点

はじめに書いておくけれど

これは特定の何かを否定する話ではない。

長年の疑問がひとつある。

それは「個人」と「全体」で見た時に

意味?答え?正しさ?が

真逆になったりすることだ。

あなたは男か?女か?

例えば男女。

男ってこうだよね、女ってこうだよね

みたいな話がある。

男性脳と女性脳の違いだ。

確かに男性全体でみると

「男ってこうだよね」が理解できる。

しかし個人でみると

男くさい男もいれば

女っぽい男もいる。

女性でも同じだ。

アセンションという妄言

1980年代、スピリチュアルブームで

いろんな宇宙存在などが出てきた。

バシャールもそのひとりだ。



僕はバシャールの本を片っ端から読み

動画やDVDも視聴した。

バシャールの意見は

「ワクワクを追えばいい」

ということだ。

それで幸せになったり

豊かになった人もたくさんいるだろう。

しかしそれから40年。

いまだに世界ではミサイルが飛び交い

貧困は変わらず、人は争い続けている。

「アセンション」という妄言も流行った。

しかし世界はちっとも

アセンションしていないように見える。

常に二律背反な世界

例えばワクワクに生きて

豊かで幸せになったAさんがいるとする。

「幸せな人の周りには幸せな人がいる」

という調査結果を昔読んだことがある。

なるほどAさんの周りには

確かに幸せな人が集まっている。

しかし世界は相変わらずミサイルが飛び交い

貧困に苦しんでいる。

「個」が見える範囲は幸せそうだが

「全体」で見るとそうは見えない。

これって「自分だけの目線」で

幸せになっただけじゃないのか?

そういう考え方もできる。

観自在菩薩に習ってみよう

僕はよく「どっちでもいい」という。

これは別に雑に答えているわけではない。

さっきの幸せや豊かという話だが

「幸せ」「豊か」といった時点で

「不幸」と「貧困」が生まれる。

伝わるだろうか?

現世というのはたぶん

表裏が常にセットになっている。

「私は幸せになる!」とって幸せになると

世界のどこかで不幸な人が1人増える。

よくいう等価交換が起きているかもしれない。

スピリチュアルや量子力学でいうように

「私は幸せ」と思えば

「私の日常は幸せ」に実際になるかもしれない。

しかし世界では変わらずミサイルが飛び交い

貧困に苦しんでいる人がいる。

政治的な腐敗が進んでいるかもしれない。

ようは本人がどこから見るかによって

答えが変わるということだ。

そういう風にできてるのではないだろうか?

だから僕は「どっちでもいい」という。

いつも真ん中にいれば

「正解と不正解」に惑わされることもなくなる。

ただいつも真ん中にいるのは難しい。

バランスを取りながら

必要な時は右に一気に振るし

必要な時は左に一気に振ったりもできる。

そういう視点操作の自由さのことを

観自在っていうんじゃないかと、そう思う。

カメラで風景を撮影するみたいなものだ。

どういう角度で見たいのか?

任意でどちらの選択も選ぶことができる。

「どっちでもいい」は「無」であり

敵がいないから「無敵」になれる。

というわけでワクワクしても

願望達成しても引き寄せても

ミサイルは止まらないんだ

社会保障も税金も変わらないんだ。

という現実についての話でした。

その上で、自由に選ぶこと。

その方が深みある選択、できそうじゃない?

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