愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの 思考編
- 2020.01.29
- 試行錯誤
最近「ほんとないわー、ありえないわー」というセリフをよく耳にします。こんな風に他人に呆れる人もいれば、怒り狂う人、愚痴を言いつづける人、様々な人がいます。
これが行き過ぎると、戦争などに発展するのかも知れません(誰かの陰謀である可能性は置いといて)
もしこれらの言葉や感情が「愛」から来ているとしたらどうでしょうか?それこそ「ありえないわー」と言われてしまうでしょうか。
あなたは愛と聞くと、どんなイメージをしますか? 恋愛、夫婦愛、親子愛、師弟愛、故郷愛、愛がつく言葉がたくさんありますね。しかし言葉というものは、とても制限されたツールですから、的確に表現することは難しい。
今日はこれを僕なりに、制限された言葉を使って出来るだけ愛とは何かを表現してみたいと思います。
前向きで、ポジティブな感情表現はわかりやすい愛の形の1つに感じてしまうので、ここはネガティブな感情表現は愛なのかどうか?これをテーマに考えてみましょう。
よく聞く話ですが
「怒りの下には悲しみがある」
という説を聞いたことはありますか。
例えばある会社のAさんというベテランの女性が中途採用した男の子の教育係になったとします。彼の歳は35歳くらいにしましょう。
35歳なのに電話応対も満足にできず、仕事もミスばかり、何ヶ月たっても成長せず、Aさんはだんだん腹が立ってきて周りに愚痴を言って回ってる状況です。
なぜAさんは腹をたてるでしょうか?
いろんな答えがあるかと思いますが、大きく分けると2つに分かれるのではないでしょうか。
①自分を大切にされていないから
②相手を大切にしすぎているから
①については
私の時間を無駄にしている
私の話を聞いていない
こんな風に感じているのかもしれません。
そして②は
そんなに仕事が出来なくて今後大丈夫?
もっと自立しないと生きていけないよ
こんな風に感じているのかもしれません。
これはあくまで考え方の一例ですが
①は本人がこれまで受けてきた愛情が不足しているから発生している可能性があり、②は他人に対する愛情過多から発生している可能性があるように思います。
するとどちらの考え方も根っこには「愛」が関わっていると言えそうです。
満たされていない私、欲望、執着。
もしAさんが適切な愛の表現方法を学んでいたら、怒ったり悲しんだりするのではなく、受け入れ、相手にあった教え方を考えたり、他の人の力を借りたり、別の形で表現するのではないでしょうか。
また無意識に「愛はいいものなんだ」みたいなイメージはありませんか。いい悪いではなく、どんなことでもその表現の仕方に、その人の物事の捉え方に差があるだけではないでしょうか。
以上のことから僕は「すべての人の行動は愛から来ている。しかし多くの人は適切な表現方法を知らない」という風に考えています。
しかしそれも仕方がないこと。学校のように一からだれかが教えてくれるわけではありませんし、日々の暮らしの中から自分で学ばなければならない。
もちろん僕もまだまだ適切な表現をマスターしていませんし、残念な結果になることも多いのですが、出来るだけ上手く表現したいと思って日々過ごすようにしています。
僕がこのように考えるようになったのは
高校生の時に知り合いを白血病で失くしたこと、札幌の教会でクリスチャン達と活動したこと、特養で介護士をやってたくさんの認知症、難病、精神病の人たちと対話をし、死をみたこと、医療者の採用担当をやって多くの医療者と話したこと、酒乱の父と親友のようになれたことが元になっています。
今日は僕なりに愛について書いてみましたが、矛盾しているところ、それは違うというところがあるかもしれませんから、何かご意見があれば送ってくださいね。
タイトルはジョン・レノンの有名な言葉から拝借しました。
Love is like a flower – you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。