「みんな違ってみんないい」を時代から考える
- 2019.02.18
- コラム
一昨年のことです。
気づいたら3秒に一回くらいフェイスブック・アプリを起動している自分に気づいて「これはイカン」と思い、徐々にアプリを見ないようにしました。もう中毒でしたね・・・。
それから1年以上が過ぎて、特にフェイスブックがなくても何の支障がないことに気づいたので退会しました。特に近年は広告や、あやしいビジネス情報なんかも増えましたね。
以前、フェイスブックを作ったマーク・ザッカーバーグのホロスコープを読んだことがあって、彼は牡牛座と蠍座に星が多く、なかなかの欲望や執着心を持っているんだなぁと。
企業は創設者のエネルギーや個性が反映されると思うのですが、フェイスブックをやっているとやはり欲望や執着のようなものを感じることがありました。いわゆる「私を見て」という認められたい気持ち。もちろん1から100までそうだというわけではありませんし、自分自身も認められたさが深かったなぁと思います。
これから5年以内に、こういう時代のノリみたいなものも変化していくでしょう。
その頃流行るのはもう少し爽やかで、抜けの良いコミュニケーションツールになりそうです。
2008年くらいから続いていた権力志向、お金を稼いだ人が偉いみたいな時代(インターネットビジネスが特に成長し始めたのもこの辺りでしょうか)からお金はあってもなくても「自由」な価値観を持つ人たちが活躍します。
戦争中は英雄とされていた人も、戦争が終わると戦犯とされてしまうように
それまで正義だったものが、真逆に向かうもの。
これは「弁証法」と言われる哲学の考え方に似ています。
Aという考え方があり、
その反対のBという考え方があり、
その両方を乗り越えてCという考えに至る。
これを繰り返して時代は進んでいくようです。
だから、誰がいいとか、悪いとかではなくて
誰にでも「いい」時と「わるい」時と感じることがあるだけ、なんじゃないかなと思います。