ド底辺から表彰へ――音楽学校で学んだ人生の法則

ド底辺から表彰へ――音楽学校で学んだ人生の法則

リンネの自己紹介 第3話

僕が、今でも諦めずに挑戦する人を応援したい理由。

たいしてギターも弾けないまま、2年制の音楽専門学校に入った僕はすぐに絶望を味わった。
クラスメイトはみんな小学生の頃から音楽をやっているようなやつばかり。
金髪、長髪、ホスト、不良みたいなのも多くて僕はただの引っ込み思案なデブ。怖かった。場違いだと思った。

僕と同じくらいの初心者が一人いたけど、彼はバイク事故で亡くなってしまった。

授業はたくさんあって面白かった。
ギター実習、音楽理論、音楽史、リズム概論、作曲、作詞…どれも魅力的。
でも、全然ついていけなかった。

1年生の終わりに、初めてのライブがあった。
みんなの前に出るだけで顔が赤くなって足が震える僕は、当然のように余りもの。
「バンドやろうぜ!」なんて言えるわけもなく、先生が「この子いれてあげて」と声をかけてくれて、比較的経験の浅そうなグループに拾われた。あの時は…本当に、心の底から悔しいと思った。

だけど、それが僕の転機だった。
転機は大体、苦しい時にやってくるものだ。

同級生に誘われて、ギターの先生の個人レッスンを受けることになった。
その先生は「北海道にこの人あり!」と言われる業界では有名な人だった。

先生はハッキリ言ってスパルタだった。
「スペイン高速道路の悪魔との死闘」なんて名前の、明らかに難しそうな曲を弾いて、
「はい、やってみて」と言う。

当然できるわけがない。
「なんでできねぇんだよ」と怒鳴られる。
理不尽だと思った。

学校に通いながら、週1回のスパルタレッスン。
出される課題を死ぬほど練習して、気づけば他のクラスの人からも一目置かれるようになっていた。
でも、ネガティブな僕はそんな評価を信じなかった。

諦めなければ負けない法則を知る。

作曲の先生はみんなから嫌われていたけど、僕にはよくしてくれた。
ある日、20万円くらいする作曲ソフトのコピーをくれた。

さっそく家に帰って使おうとしたけど、全然使い方がわからない。
ソフトは全部英語。説明書もない。
英語の成績が2だった僕は、ここでまた絶望を味わった。

録音したギターの音が聞けるようになったのは半年かかった。

うおおおおお!音が出た!!!!!

あの時の喜びは今でも忘れられない。
諦めなければなんとかなる、ということを知った。

学びを最大化すること

そんな僕も卒業する頃には、作曲をし、10人編成のメンバーをまとめ、ライブでインスト曲を披露するまでになった。

ヤマハの偉い人から「君はプロデューサーの才能がある」と言われた。

みんなロックやポップばかり演奏するから、僕はイージーリスニングやジャズフュージョンを演奏した。
誰よりも早く登校して、音楽ブースの暖房をつけ、ギターをチューニングし、先生のギターを運んだ。
先生たちは名のあるプロだったから、そうすればいろいろ教えてもらえると思ったのだ。

実際、みんなよくしてくれた。
他の生徒には「媚びてる」と思われることもあったけど、そんなの気にしなかった。
学校の目的は、学びを最大化することだ。

そうして卒業式の日、僕は学校から表彰を受けた。
「誰よりも努力し、成長した」と評価してもらえたのだ。

音楽学校での学びは大きかった。
諦めなければ必ず結果を出せる――そう確信した僕は、すぐに社会の厳しさを知ることになる。

あ、そうそう。ちょっと好きな女の子がいて家にいって二人きりになったこともあったけど…何もなくそのまま卒業した。当時の僕はオクテだったのだ。

続きは、次回。
鬱になる。バイトを3回クビになる。そして上京。