豆腐メンタルで働くのも怖かった僕が、盲学校のバンドで得た“諦めない力
- 2025.01.14
- リンネストーリー
リンネの自己紹介 第4話
僕が鬱になった理由と、人生を変えた人たちの話
僕は、とにかく働きたくなかった。
高校生の時にホテルの皿洗いや生協のレジをやったけど、どんくさくて釣り銭をよく間違えた。
「僕は仕事が向いていない」
そう感じて、働くのが怖くなった。
ゲオでの苦い経験
卒業して最初のアルバイトはレンタルビデオのゲオだった。
すぐにDVDにロックをかけたまま貸し出してしまう失敗をして、先輩バイトがお客さんの家に謝りに行った。
先輩バイトに嫌な顔をされ、僕は申し訳なくて2か月で辞めた。
彼はホビットのような小男だった。
休憩室はゴミ箱の中のように汚い部屋で、ヘドロまみれの扇風機をきれいにしたのは僕だけで
みんなはモンスターハンターに夢中だった。
「ここは自分のいる場所じゃないんだろう」と思った。
僕の教育を担当してくれた方はみんなから嫌われていたが、やはり僕にはよくしてくれた。
盲学校のバンドで学んだこと
ニート中だったがギターの先生に誘われて、盲学校のバンドに参加したのは大きな転機の一つだった。
そのバンドのメンバーは全盲や弱視でありながら、それぞれの楽器を見事に演奏していた。
中でもベースを弾く女性は、弱視の上に左手の指が複雑骨折で半分使えない状態だった。
「先生に言われたの、使える指で弾けって」
と笑顔で言った彼女に、僕は心を打たれた。
僕も「諦めないで自分にできることを見つける」大切さを、彼らから学んだ。
どんな状態でも、どんな境遇でも
明るく前に進むことができるんだ。
このバンドではテレビ局のチャリティライブ、美術館、理学療法士の学会、カフェ、養護施設なんかで演奏した。
自分の音楽活動も続けていて、お祭りでアイルランド音楽を演奏したり
カフェバーでオリジナル曲を演奏したり
スティーリー・ダンやノラ・ジョーンズの曲をスタジオでセッションしたりしていた。
同時にこのままでいいんだろうか?
音楽を続けていく情熱が僕にはあるのか?
そう悩んでいた時、何度目かわからない転機が訪れた。
祖母が脳梗塞で倒れたのだ。
あなたのためのメッセージ
僕が今、占いや相談を通じて人を支える仕事をしている理由は、こうした経験にある。
挫折や不安、諦めかけた気持ちを乗り越えた時、人は必ず新しい景色を見られる。
あなたが何かに迷った時、僕は一緒にその道を探したいと思う。
続きは、次回。
「祖母の脳梗塞と、父との和解、そして上京」
おまけ:憧れのロンドン女
高校1年の頃、MSNメッセンジャーというチャットアプリみたいなのが流行っていた。
なんのご縁かロンドンに留学してアートを専攻している女の子と仲良くなった。僕は絵描きに弱いのだ。
彼女が一時帰国するということで、東京と大阪でオフ会が開かれたので参加した。
まあ憧れって不思議で、会っちゃうと冷めたりするんですよね…
帰りにラーメン二郎目黒店にウキウキして入ったが、麺が多すぎてモタモタしていると店を追い出された。
やっぱり東京は怖い町なんだと思った。